○文章とか(LOG)

[2015/10/27]

今日はとくに何もしなかった。強いて言えば、アンコを作りました。これで3回目ですかね。

アンコマイスター(?)こと、CATネコマル様に言わせますと、アンコの魅力というのは「あずきから作れる」というシンプルさにあります。いかにも和の甘味って感じがする。たとえば、もし将来あなたが火星に移住したとき、

「君、すまんが……この星では食料がこれしかないんだ……」
「えっ、そんな……。あずきだけ?」
「そうだ。この大気だからな……。しかし、鍋と砂糖、それから本みりんのほうは大丈夫だ!」
「はっ! だったら!」


そう、だったらアンコを作れますよね? それでは、夜も遅いのでそろそろ寝ましょうか。おやすみニャさい。



[2015/10/26]

秋の果物、スーパーに柿が並ぶ季節になってきた。味もいいけれど、なによりその色がイイなと思っている。動物によっては赤色の波長は見えないらしくて、それより黄色のほうが目立つそうだ。

植物と動物が会話していて「果実の色がわかりやすいように黄色にしてください」「ええ、わかりました」というのなら理解できるけど、何ゆえにその色になったんだろう。よく分からない。でも、動物も植物も生命のグループなのだから、種をこえ繁栄しようとするのは生きものの生理だろう。それは現実を見渡してもそこらじゅうで見られる現象だ。

何はともあれ、もうリンゴは飽きてしまった、ということです。リンゴは飽きるのだ(なんだそりゃ?)。



[2015/10/23]

客観的という言葉がありまして。

客観的であるためには対象と距離が必要です。という話なんだけど、いまこの話自体が距離をもった書き方でして。逆に「たとえばあなたがお金を1万円落としてしまった時…」みたいな書き方をすると、とつぜん話との距離がちかくなって主観的になる。

文章を書くことの価値があるとすれば、それはおもに、自分にふりかかっている出来事を客観視させ、すこしだけ遠くに追いやる事にある。…と、いつもこんなことを考えているのであった。それにしてもさっきの1万円はどうなったのだろう?



[2015/10/22]

遺伝というのは不思議なものでして。親から子、子から孫へとDNAという体の設計図が伝っていくという。でも本当なのかな?

ここで不思議なのは、親と子ではなく親と孫のほう、つまり一世代の間をおいて類似するということ。ちなみにネコマルの(もう他界してるけど)祖父と祖母をみてみると、教師が2人、農業、茶道の先生。と、なんだか先生ばかりな気もする。

そんなこんなで、自分が商売がまるっきり下手なのにも納得。あと、技術資料を作るのが好きなんだけど、それも何だか符合するような感じ。…にゃっとくなのである。



[2015/10/21]

知ってる人は知ってることなんだけど、ご飯(お米)を食べると眠くなるという現象がある。何でだろう? ちなみに炭水化物だからという訳でもないようで、パスタ、パン、うどん、ラーメンなどでは眠気がこなくてもご飯だとてきめんに眠たくなるし、実際に昼寝をすることも多々ある。まぁ、ネコですからね(=・x・=)

眠くなるのは良いことなのか、それとも悪いことなのか……。まぁ、この現実がうっとおしいと思っている人であれば、昼寝でもして夢の世界でやり過ごすのもイイことではある。

とある映像屋の知人は、仕事のかたわら山奥で田植えをはじめたそうだ。何があったのか知らないけれど、自分で食べるものを作るなんて、たいへんな苦労だろうけど生きた心地がするだろうな。日々是、生きた心地とは無縁なのである。



[2015/10/20]

手打ちのパスタ麺を作ってみた。材料は、小麦粉200gに卵2コそれから塩とオリーブオイル、できた麺は300gだった。生地を寝かせている間に、伸ばし棒をもとめ山手通りにあるダイソー中野坂上店まで歩いていった。何でも売っている店が100円ショップというのは何だか不思議な気がする。

期待しつつペペロンチーノで食べてみたけれど、ミートソースのほうが良かったのかもしれない。と思った。パスタというのはソースを楽しむ料理である、それを再認識できた秋の一日だった。

とりあえず小麦粉を買ってしまったので、またコネコネして作ってみるつもり。ちなみに肩が痛い…。予想に反した重労働でございました。



[2015/10/19]

演技だけなら謙虚なフリもできるけれども。実質が伴わない謙虚さは、いずれ破綻してしまうのだ。それはちょっと困るのだ。

自信があれば謙虚でいることは簡単にゃのである。これを言い換えると、自信とは選択肢をもっていることで謙虚とは結論を先延ばしにできる心の自由のことである。

苦しい状況のなかでは、当たり前なんだけど、選択肢があることが良いのである。なぜならそれはカッコイイからである。



[2015/10/16]

ネコの話。

毎日のようにウチに遊びにくる白ネコ、みーちゃんと呼んでるのですが。飼われてる家がその辺りらしく、郵便局のまえに座ってることが多いです。声をかけるとニャー!と駆け寄ってくるのでヨシヨシするのですが、心の中で「そろそろ帰るかな…」と思った瞬間、スッと1mほど離れて座るのです。

うーむ。心が読めるのだろうか? 読めるのかなぁ。嘘なんてつけないってことか。人は互いに嘘をつけるなかで生きているけれど、相手の心が読めるとなれば、あんな態度になるのだろうか。なるのかもなぁ…。ともかく、ネコの気持ちは分からニャイのだ。



[2015/10/15]

夢をみた。夢というのは不思議なもので、夢の中にいる自分の目線とは違った場所からの映像を見ることもおおくある。空を飛んでいる上空からの映像もあったり。でも、その映像というのはゲームやテレビの記憶をベースとしているのだろうか? どうもよく分からない。

夢が現実の体験をベースとしているなら、ファンタジー作品というのは夢をベースとしているだろう。では夢とは何か? 夢とは不思議な気配のことだろう。ほぼ全てのテレビ番組にも、大半の映画作品にもない、しかしおおくの舞台作品にはあるような、不思議な気配のことだ。



[2015/10/14]

この所、ちょっとしたトラブルがありまして。まぁトラブルなんて慣れっこなんですけれど、イヤですね、法律を盾に要求を突きつけてくる態度。もちろんそれはそれ、ガンジーネコマルとの異名をもつ私ですので法律くらいで引き下がれません。負けグセついてしまうと商売あがったりなもので..。

あれ、トラブルなくても商売あがったりやんけ? と書いてて思いました。まぁいいや。



[2015/10/13]

今日ですか? 今日は豚肉の生姜焼きを作りました。これ最近の得意料理なんですが、ポイントはクックパッドをよく読むってことです。隠し味にバターを加えるレシピなんですが美味だと思います。

作ることを楽しむ秘訣があるとすれば、それは不慣れだった頃を忘れないってこと。耳が痛いね。



[2015/10/9]

今朝も白猫のみーちゃん(本名不明)が部屋に遊びにきてくれた。こうやって日々接していると、自由とは何であるかを実感〜実体験として教えてくれる師だなと感じることしきり……どの世界にも(?)上には上がいるものです。

実感としての自由はそれらで知るとして、では文章として感じられる自由とは何か? 何だろう。文章というのは、願望を表現するのに向いてるんじゃないのかな。だから不自由な時にしか使わない物なのでは。自由であれば文章なんていらない。であれば自由である文章とは、語ることではなく聞くことなのかもね。

セコムしてますか?



[2015/10/8]

最近あることを思いついてしまいました。思いついたというか閃いたというか。それは何かというと、Youtubeなんかでよくある「キッチンで料理の解説する動画」を作ってみたいなぁ、いや必ず撮ってみせるYO!ってことです。そういうHow Toモノの動画って定番の面白さがあるし、それに料理そのものに興味が湧いてきたから、ちょうどいいやと感じていますニャッ(=^・x・^=)

いやいや本心としては、いずれはアバターを超える長編映画を撮りたいんですがね、まずは料理の動画も撮ってみたいでしょ(笑)。ではここで一句、

秋の風 アバターよりも バター焼き
バター高くて こまりますねん

ほんとバターが高くなりましたねー。仕方ないので節約ですね。それでは。



[2015/10/7]

とくに書くことがないときは、今日もそうなんですけど、食べものとか天気について書けば良いのではないでしょうか。どうでしょうね。今日はリンゴを2つ食べました。それから今から夜食でパスタを作ります。作るの簡単ですからね。わたくし猫なんですけれど、それはそれとして。

天気、今日も寒いです。でも暑いよりかは頭脳労働には快適。そして湿度と気温が下がると、遠くから伝わってくる音も高音が立ってきますね。そんなこんなで芸術の秋なのでしょうか。おしまい。



[2015/10/6]

昨日と今日、新宿をウロウロと撮影していた。

街にいればその街の中ならではの気分になり、そして部屋に帰ると部屋の中ならではの気分になる。それは何故なんだろう? そして眠りのなかで夢をみているときは夢の世界ならではの時を過ごす・・・なぜこれほどまで別の気分になってしまうのだろう。

だから映画は未だに作られていて、変わり者な作り手を惹きつけている。この気分の変化を捉えたくて。そして、この秋〜冬にかけて何が撮れるのだろうかと不安と期待を抱えて毎日を過ごしている。全く変な気分だ。

今年は何か、何でもいいから大きなチャレンジをしようと思っているのだ。



[2015/10/5]

よくTwitterでも2ちゃんでも目にすることだけど「〜が正しい」「だから〜は間違い」「〜するべきだ」みたいな話がありますけれど。あれはやっぱりこの国の学校教育の名残りなんですかね。物事には何でも「点がもらえる正解」があり「ひとつの正解がある」というような。まぁ、それでもそうした一派がいることで、僕たちのようなはぐれた一派が生きていられる、ってこともあるんでしょうが。

「正しい」というものは、やはり簡単には相手に伝えられんのです。それは、人には「習慣」というものがあり、その習慣をもたざるを得ない事情を抱えてたりもします。つまり「習慣=過去」、現在だけのハナシではなく過去という時間軸の要素が関係しています。これは先入観とか固定観念とも言えるかも。

でも、実はこの話はそれほど複雑な問題ではなくて、「〜が正しい!」などと言う人が本当に言いたいのは「〜は生理的に嫌いなんだ!」ということで、その理不尽さをごまかすために何かしらの正しさを主張しているのです(口では嘘が言えるってこと。困ったやっちゃ!)。でも誰だって嘘をつくんだから、そうした嘘を見抜いたうえで、そんなことを言う行為を許してあげることがニャンゲンとしての正しさではニャイでしょうか? おしまい。



[2015/10/3]

この世には善人と悪人がいるようだ。この世は大きな屋敷であり、その屋敷にある植木鉢の下をみると、そこにはダンゴムシの家族が住んでいる。ダンゴムシだからと笑ってる場合ではなく、日中うっかり外に出ると、庭にいるニワトリに見つかって食べられてしまう危険があり、そんな時には丸くなって防御してもムダなのである。

しかし人間(ニャンゲン)というのは、自分の認識ひとつで何にでも変化できる動物でもある。それはネコとは違うニャノである。僕たちは、いつまでもダンゴムシのままではいけないってことだ。僕たちなのか、君たちなのかは知らないけど。

ダンゴムシにとって日中に植木鉢の外にでることは(多分)タブーである。では、ワタシやアナタにとってのタブーとは何だろう? おっと残念、ここで時間が来てしまった。ではサラバなのである..。



[2015/10/2]

「脳科学からみた、すぐに行動するための16のセオリー」「必ず実現させる!手帳の使い方」みたいな本が売られていて、ホンマかいなと驚くのですが。「屋外の歩き方」「コンビニでの買い物のやりかた」という本は売ってないよね? まったく、この世に大人は何人いるのだろうかと心配になってしまう。

私たちが行動がうまくできなかったり、希望をなかなか実現できない理由は、ひとえに「劣等感」「心の乾き」に悩まされていないからだろうね。その意味で「優越感を知らないのはバカだけど、優越感を欲しがるのはそれ以上にマヌケである」と、言えちゃうのだ。

本当に欲しいものはライバルなのである。



[2015/10/1]

とくに今日は書きたくなることがないのですが、どうしましょう。あ、フリクションって消せるボールペンを昨日買いました。とつぜん各社から出てきたのをみると、ソレの特許が切れたんでしょうかね? ヨドバシカメラの文具コーナーで書き味を比べたあげく、PILOTのライトブルー0.7mmを選びました。

もし現場で使うとして、台本(とか進行表)に書き込みする用途には良いかも? それにしたって、やっぱり紙とペンは便利だと思います。自分のスケジュール管理の電子化はあきらめました。この頃はA4の紙に10日分を印刷して管理しています。あれ、何のハナシだっけ?



[2015/9/30]

良い結果を出すために必要なことは何だろう..? たぶんそれは運、運に恵まれるってことでしょう。この問いを言い換えると、結果というのは未来の自分の出来事ともいえるので「未来を上手く予測するためには何が重要か?」ということと多分同じものだ。

では運がよくなるにはどうすればよいのか? さぁ…幸運のことはよく分からないけど「不運な人だけがやってる事」は避けたほうが良いだろうね。これを言い換えると、つまり、鏡の前に立つって意味だよ。(まぁ、皮肉な文章だこと!)



[2015/9/29]

クリエイティブな作業の代表といえば何だろうか? それは料理を作ることだろうね。身近な人たちをみて気づいたのは、創造的な仕事が上手な人はキッチンに立つのも好きってこと。とはいえ、料理が得意なひとがクリエイティブ全般にも強いかどうかは知らないけど…。

7月末に引っ越しをしてから、キッチンで何かを作ることが増えてきた。やっぱり環境の変化がいちばんの刺激ってことですかね。最近覚えたことは、味噌汁に野菜などの具をいれること。オススメはみじん切りの人参、それから油揚げ。とりあえず作り方を。

・人参とたまねぎをみじん切りにする(合計50〜70g)
・油揚げ1/2枚を小さくきざみ、上記とともに鍋にいれる
・これらにすこし火を通す。1〜2分くらい
・電気ポットで沸かした400gのお湯を鍋にいれる
・ガスを消して野菜に火を通す(5分くらい)

 鍋に蓋をしてから、

・味噌大さじ3/4, 鰹節, わかめをコップにいれてお湯少々
・味噌をとかしたら鍋に追加する
・5分くらいたったら味見をして完成

ちなみに、引っ越し前までは味噌汁には具をいれてませんでした。そんなに料理は得意じゃないもので..。ともかく、味噌汁が気分よく作れるような日は、その他の作業も上手くできてるってことですYO!



[2015/9/28]

文章を書くコツがあるとすれば、それは多分「文章を書くのは簡単なことだ」と捉えることにあるだろう。踊るように、走るように、飛ぶように・・・書くんじゃなくて、立ち上がるように、歩くように・・・息をするように。

もうちいど。文章を書くコツがあるとすれば、それは多分「自信をもって書く」ってことだろう。そしてウソはすぐに見破られるらしいので、先ずは、自分の器量のなかだけで書き進めれば良いのである。なに、気合いれようが力を抜こうが、結果の差なんて実はそれほどでもないのだ..▼・x・▽



[2015/9/18]

文章を書くことの価値は、煎じ詰めるとつまり驚きにある。そして、慣れた人よりも不慣れな人のほうが同じことができても驚きが大きいとも言えるはず。そんなことだから、インターネットの時代はアマチュアの時代になっているんじゃないのかな。

上手で慣れたもの。不慣れで驚きがあるもの。さて、人はどちらに共感できるのだろうか?・・・そのどちらにも共感できるのであった。それにしても共感とはニャンだろう(軽さを控えめにした文章)



[2015/9/17]

女子のポエムじゃないので、他愛ないことを書き連ねるのもどうかと思うのですが。ですが、いまどき女子だってポエミーな文章なんて書かないと思うんですわ。物欲って言うんですかね? アレですわ。おや、批判ですかねこれ。いけませんね。人呼んで猫界のマハートマー・ガーンディー、ガンシーネコマルとの異名をもつ私としては、こそこそと批判を書いて納得するようではいけませんな!

みなさんも、そう思いませんか?(軽い文章 part2)



[2015/9/16]

とくにこれといって何もないんだけど、今日はご飯と味噌汁を食べました。そういえば、中野駅に向かう途中、惣菜屋さんでコロッケを1つ買って食べました。60円。それにしてもコロッケって利益率いいのかな? まぁ、売りやすいんだろうね。だって買いやすいもんだもん。

そう思いませんか?(なんて軽い文章!)



[2015/9/15]

最近はなぜだか早朝に起きてしまう日々、今日は午前5時まえに起床。なんだかすっかり秋だ。それからアレコレしつつ気づいたら夜の12時。もう眠たいです(=・x・=)

日曜の素材を2時間ほどかけて編集する。編集といっても、ざっとEdiusのタイムラインに並べ、音楽ラッシュを作っただけ。かるく観た感じだとカット数はいいとしても、シーン数がちょっと足りなかった印象。そして毎度のことだけど、そうした部分、つまり撮影のリズムをつくることが仕事の大半だと思うんだ。わかるかい?



[2015/9/14]

昨日は曇天(どんてん)のなか新宿をサツエイをしていた。合計18カットのうち、その半分はPLフィルターを入れていて、もう半分はフィルターナシだった。そして、NDフィルターを重ねたのは2カットくらい。

今朝、ラッシュ映像をみて安心する——これは当事者だけの快楽にゃのだ。仮編集が楽しみである。



[2015/9/11]

「そろそろwebも手直しするかな…」とおもいつつ、とくに何をするわけでもなく放置のNekomaru Agency & Film-lab、開始から20ヶ月が経過しているようです。ブームをおいかけるのも良いですが、世の中には頑固者もいる訳でしてね。そんな訳でこの「文章とか」カテゴリーの追加と、それから「webの背景が白くなった」ことで約20ヶ月目のデザイン変更を完了したいとおもいます。…これでも頑張ったんですねん。

あと何か紹介することでもあれば良いのですがとくに思いつきません。でも、時間はいくらでもあるので、また次の機会にでも何か書きましょう。世界はひとつ、おいなりは2つ!(=・x・=)。

それでは。





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